Kanon89’s blog

花音鍼灸治療院のブログ

心の問題

臨床をはじめるとすぐに気がつくのが心の問題です。
体と心は表裏の関係にあり、不二のものです。
体が悪ければ心も落ち込み、心が病めば体も不調をきたす。
さらに施術者に対する患者様の心持ちも施術効果に大きな影響を与えることを、身をもって感じました。
そこで産業カウンセラーの資格を取りました。カウンセリングも出来る鍼灸師になりたかったからです。
おかげで”傾聴”というカウンセリングで核となる姿勢、さらに施術中何を話せば良いか、また何を話さなくてもいいのかが明確に分かるようになり、安心して施術に臨めるようになりました。
その頃往診で担当させて頂いていたホスピスの患者様との経験で、産業カウンセラーではカヴァーできない領分に突き当たり、もっと深く学ぼうとスピリチュアルケアを真剣に学ぶことにしました(今の日本では一般的にスピリチュアルというと変な意味になってしまいますが)。
看取りの場面では、やり直しが絶対にきかない。
死に面した患者様にどのように寄り添い、何を語りかければ良いか(または何を語らずにいるか)、専門的に学ばなければと思い、スピリチュアルケアが学べる大学へ1年間通うことにしました。それが武蔵野大学臨床傾聴士養成講座です。
コロナ前、ギリギリのタイミングで武蔵野大学認定臨床傾聴士となることが出来ました。
WHOが謳うBODY・MIND・SPIRIT。人間という存在まるごとすべてをケアできる施術家になることが、私が究極の目標とするところです。

青磁展に行って来ました。

出光美術館でやっている青磁展に行って来ました。

陶磁器界における最高峰の一つと思われる南宋青磁

一度まとまって観る機会があればと思っていましたが、夢がかないました。

青磁は同じ時代・窯でも様々な碧があることを確認しました。

やはり南宋の龍泉窯が質的に最高峰であり、今回の展覧会でも多くのスペースを割いていました。

個人的にはさらに削ぎ落とされた白磁が好きです。

美術館の最後の展示スペースにルオーの小部屋があり、なんだかとても得をした気分になりました。

青磁

 

今年の抱負

年初にあたり今年の抱負などを考えています。
資格をいくつか取るつもりでいるのですが、それとは別に「老子」を本格的に読んでみようと本を買い込んでいます。
東洋医学、特に鍼灸は「黄老思想」と言って老子は欠かせないテキストなのですが、それにしてもこんなにぶ厚い単行本を見たのは初めてです。

 

"手“について思い出されること

手についての思い出は他にもあります。
昔インドを一人、4ヶ月間放浪した時、どういう経緯でそこにいたのかはまったく覚えていないのですが、私とインド人と寡黙な欧米人の3人で焚き火を囲んでいました。

インド人は火をくべながら、「その欧米人はヨガの達人で身体のあらゆる部分を一つ一つ別々に自分の意思で動かせる」というような内容を私に話して聞かせました。

欧米人は黙って私とインド人の手を取り、見比べました。私の白く汚れのない華奢な手とインド人の労働による汚れにまみれたゴツゴツとした手はあまりに対照的で、瞬間私は恥ずかしさでいっぱいになったのでした。お金を数えてきた手と労働に裏打ちされた手。欧米人は何も言わずに私の眼を見るのです。その碧く澄んだ深い眼を私は決して忘れずにいます。

あれから四半世紀以上経ち、今だったら自信を持って私は彼に自分の手を見せるでしょう。
これが人々のために日々悪戦苦闘している施術家の手であると。

忘れられない”手”

先日、患者様が私の手の”あたたかさ”に驚かれました。
昔から手が温かいとはよく言われます。
施術家にとっては良い点であると思っています。
鍼灸業界ではよく「手作り」という言葉が使われます。
いろいろな意味があるのでしょうが、私にとっての手作りは何と言っても”あたたかさ”と”やわらかさ”だと思っています。
私にとって忘れられない手の”あたたかさ”と”やわらかさ”があります。
以前恩師と握手した際、自分の手の温かさには自信があったのですが、私以上にあたたかく、そして何よりもやわらかいのです。
その感触は私にとっては衝撃でした。
私もあのような”手”になるよう、日々手作りに励みたいと思っています。

この仕事について良かったと心から思える一瞬、一瞬。

非常に満足されて帰られる時お見せになる、初診の患者様の笑顔、
自転車で帰られる時、振り向きもせず手を私に挙げて挨拶される、難病の患者様の後姿、
表面的に笑顔でお話し下さっていても、ストレスで力が抜けない常連の患者様が、施術後すっかりリラックスされて脱力した御姿。
それらを見る時、心の底からこの仕事について良かったと、いまだ新たな感動が沸き起こります。
そんな患者様方に感謝の念でいっぱいです。